いそかなこさん(20歳・女性)

幼少期

~両親からの自由な教育~

2001年 東京都世田谷区の病院で生まれました。

なんでも気になったものや生き物がいたら、「これは何?」と母に聞いていたり、いろんなことに興味津々で好奇心旺盛な子供でした。通園中でも母は一緒に立ち止まって、一緒に考えてくれたり、答えを探してくれたりしていました。また、水があると飛び込んでしまうような子供で、海や川や公園の噴水などどこでも飛び込んでいたそうです。また、遊び足りないと、親戚の家でもどこでも泣き叫んで帰らなかったそうです。

母は絵がとても上手で、リビングのかべに大きな模造紙を貼って、そこにアンパンマンのキャラクターを私が言ったものを描いてくれるということもしてくれたり、私が頭からヨーグルトをかぶっても怒らなかったり、とても自由な教育をさせてもらいました!

 

3歳で幼稚園に入園します。

幼稚園の友達と水泳を習い、水泳が好きになります。特に得意なのは背泳です。

5歳で周りの女の子が習っているからという理由で、ピアノを習い始めます。

途中でピアノは楽しくないと言い出しましたが、先生の方針で、「それでも音楽をして欲しい」と言ってくださり、歌のレッスンをしてくださいます。そこから、声楽やポップスや弾き語りもして、ピアノにも触れさせてくださって、たくさんいろんな曲を発表会で演奏しました。また、音楽は聞くのも好きで、音楽業界で仕事をしていた親戚の影響もあってたくさんのコンサートに足を運びました。Jpopの曲から海外アーティストまで様々なジャンルの音楽が好きになります。

 

そして、小学生は女子スポーツクラブに所属して、バトントワリングや長距離走やドッジボールなど、普段からスポーツをするような生活をしていました。また、青山学院初等部で、体験させてもらった行事がたくさんあって、いろんなことをしました。客船を一隻借りて、日本半周旅行に行く船旅では屋久島に行ったり、長崎の平戸で初めての2kmの遠泳もしました!

中学高校では、6年間バドミントン部に所属して、部長をやったり、怪我に悩まされた時期もありましたが、組織というものはなんなのかということを実感して、学びました!

 

私の節目~カメラを買う~

周りの子が持っているからという理由で、中学1年生(13歳)の時に自分のお小遣いでミラーレス一眼カメラを買いました。そこで、撮った写真をinstagramにあげることで知らない同級生からもメッセージが来たり褒められることが多くなり、自分の“得意技”や“自信”となっていきました。

大学3年生になった今では、大学サークルの撮影から、学生フリーペーパーに載る芸能人の撮影を行ったりしております。

 

私の節目~写真家の方で出会って~

大学生になって、写真部に所属して、写真をより一層磨きました。大学二年生が始まる頃にコロナウイルスで日常が変わってしまいました。2年生の1年間は空白の1年間だというふうに思っていて、本当に良いことがあまりなかったです。しかし、唯一の面白い出会いと言っても過言ではないくらい、大学2年生の夏に、小平尚典さんという写真家の方に出会いました。なんでというくらい沢山自分の将来のことを一緒に考えてくださったりとか、展示の設営の手伝いに呼んでくださったりしました。なんでも話せて、相談もできる大人の方のお1人で本当に感謝でいっぱいです。

 

私の節目~初めてのインカレ所属~

大学3年生の前期では“対面授業が始まる”という学校からお知らせがあったが、どうせできないであろうと8割型諦めていました。そのため、SDGSの環境問題に興味があったのもあり、「十大学合同セミナー」というインカレに所属を決めました。ここでは沢山勉強もしましたし、25,000文字の論文を30人ほどの仲間と書き切り、思い出も仲間もできて良い経験でした。

また今でも、常日頃から“環境問題”をはじめとした様々な社会問題に興味がある子たちばかりなので、voice upなどの発信をしている姿を見て、興味関心に引き立てられています!

 

私の節目~初めての外部展示~

大学3年の7月から外部のグループ展示に参加をしないかと呼ばれることが多くなり、その経験から大学3年の11月に青山にてグループ展示の代表を務めました。1ヶ月という長い期間お借りして展示ができたことはとても光栄であり、たくさんの感謝の言葉や応援のメッセージをいただきました。自分の自信にも、思い出にもなった最高の1ヶ月間でした。

 

私の節目~経営スクールに通い始める~

経営の知識はもちろん実際にアポをしたり、数字での結果を求められる世界で学生ではできない体験ができています。途中のクラスで、歴代最速卒業記録を出したり、数字としてとても自信になりました。そこでの友達や大人の方とも沢山出会えています!!

歴代最速記録を出したことで、そのスクールの取締役の方と、お食事に行く機会をいただきました。そこで沢山いろんなことをお話ししただけでなく、コンサルをされていることもあり自分はどんな風に今後キャリアを築いていって行った方が良いのかなど考えるすごい良い時間になりました。

 

私の節目~写真家の方と出会って~

大学3年の12月にヨーロッパでカメラマンをされている日本人の女性に出会いました。その方はもう還暦を過ぎている方でしたが、お年も気にすることがないくらい、ポジティブでありのままで良いという風におっしゃってくれてくださり、話始めて開始10分くらいで「海外を見た方が良いよ」という風にアドバイスをいただきました。

今はカメラマンの仕事以外にも友人からの紹介で、パリコレに出るような、名だたる有名ハイブランドのモデルもされています。

この方とお話をさせていただいた、たった1時間でしたが、最後には涙が自然と出てくるくらい、私の人生の中でも、すごいインスピレーションを与えてもらったポジティブな時間になりました!

 

これからどう生きていくか(現在20歳)

私の将来の夢は、自分の名前で呼ばれる写真家になりたいという軸が中心にあります。また、自分のセレクトしたものをお店で売ったり、いろんな人が“サードプレイス”として居られる場所を作りたいと思っております。でもこれは自分の“やりたいこと”であって、その前に社会貢献できるような何かをしたいと思っております。また、海外にも2022年は行きたいと思っています。

あとは自分で自分のことを養えるのはもちろんのこと、親孝行も早くできるくらい働ける大人になっていきたいです。