私の子ども時代

小学生の前半は中国の上海に住んでました。学校にはバスを2回乗り継ぎして行き、毎日宿題に追われ、楽しみといえば、巷で売っているラム串肉のスパイス焼きを買い食いすること。小学校3年生の頃に言語も文化も知らない東京の公立学校に入り、勉強の量が減り、毎日友人と遊びに出かけながら日本語を覚えました。なんとかなる精神の子供だったのでしょう。

中学・高校の頃

普通の公立に通い、テニス部、帰宅部、アルバイトなど、人並に経験してました。

“自分は何もできない”と向上心のための戒めのつもりが、できないことに焦点を当てすぎて、自責して悩んでいるうちにエネルギーも時間も使い、成績にもダメージ。

私の転機 ~最初の転機~

自分の意志で転機となったのは、高校の時、お小遣いでアメリカの親戚を頼って2カ月渡米したこと。文化の枠組みを外した時に、可能性を見出せたことが心の健康を取り戻せた時でした。

それから~

日本のとある私立大学に行ったのだが、相変わらず“自分とは何か”を探ることにエネルギーを使いすぎて疲れ果て、大学は中退。アルバイトしていた展示会で司会やナレーションのスキルを上げていくうちに、日本語の発音に再着目し、日経ラジオで研鑽をしたのち、様々な展示会において日本語で司会をして生活を繋げるようになったことは自分の中のほんの小さな誇りです。

恩人

思い起こせば枚挙にいとまがないですが。

最大の恩人はやはり家族です(家族と恩人を同じカテゴリーに考えるのは悩みました)

“あなたはやろうとおもってやったらなんでもできる”と心の根底を支えてくれる母の言葉の力は無限です。

これから~

身体の自己治癒力を高めるための整体や気功、薬膳、環境、星の運行、哲学、心理学、建築構造、などに興味を持っています。バラバラに見えるそれらは、同じような仕組みの中で複雑に絡みあっています。そのように捉えるのが東洋思想。バラバラにみる時代から、ようやく統合してみる時代に入ってきたと感じており、1920頃からの現代科学(物理学・量子力学)の発展でさらにヒントを頂けそうです。

自分とは何か、仕組みとは何かという謎の追及、そして伝えるための道具磨きをしながらも、社会という現実の中で、関り合うすべての方が健やかに、心豊かに、楽しく過ごせることを、自分のことのごとく願っていきたいです。

最後に、ライフストーリーへのご縁をくださったこと、自分の表現の場を作り出してくださった方々、編集など携わるすべての方々にお礼を申し上げます。

法律と遺言について