知久信義さん(82歳・男性)

知久信義さん

私の生い立ち

私は、昭和13年に東京都中野区鷺宮に生まれました。現在82歳です。子どもの頃、父の転勤で千葉の館山に引っ越しました。幼稚園、小学校、中学校、高校と館山で暮らし、高校卒業と同時に上京しました。

父は私が小学校2年生のときに亡くなり、母は女手一つで私を含めた子ども3人を育ててくれました。

私の略歴

大学に入る前にいろいろありましたね。高校を卒業した後は運送業者に就職し、お客様の買った商品を自転車で自宅に配送する仕事をしていました。

大学に行くため、運送業者を辞めてヤマト運輸の下請けの印刷会社に就職し、夜間の大学でスペイン語を勉強しました。印刷会社を退職し、三菱地所のエレベーターボーイをしながら3年次編入した大学に通いました。青山学院大学経済学部を卒業し、青山学院中等部に勤務した後、特殊法人国立競技場司計課勤務を経て、新日本証券株式会社に勤務しました。

昭和57年に同社の企業部に配属されました。この部署は株式公開、資金政策、資金調達、従業員持株会の発足、M&A等の支援をするところで、私自身もいくつかの企業の株式公開などを手がけました。

平成元年に新日本ファイナンス株式会社に出向し、株式公開準備をする企業の資金調達などに関する仕事を手がけました。それらの経験や人脈を生かし、平成14年には証券会社などを中心に6つの企業の顧問に就任しました。 令和2年7月から特定非営利法人イカス(ICAS)の常任理事に就任しています。

私の節目 ~ライフワークであるベンチャー企業支援をスタート~

新日本ファイナンスに入ったときから、ベンチャー企業の支援という私のライフワークが始まりました。これが私の人生のターニングポイント、すなわち節目ですね。

ベンチャー企業支援の魅力

ベンチャー以外にもたくさん会社はある中で、なぜベンチャー企業の支援をしているのか。ベンチャー企業を支援することはとても魅力的な仕事なのです。実にいろいろな社長がいるので、常に新しい社長に出会って、人生観や今後の展望、苦労話などの話を聞けるのはとても楽しいことです。さまざまな経営者との対話などを通して、まるで“竹藪の中のかぐや姫”のようにピカリと光る会社を発掘することには大変やりがいがあります。人の縁を大切にしながら人・物・金のマッチングをしていく、このような仕事をずっと行ってきており、これから先も取り組んでいきたいと考えています。

企業支援のポイントとしては、すばらしい技術を持っていることも重要ですが、誰と組んでどこで売るかということが大事です。ドラッカーの顧客の創造などが参考になりますね。

人脈づくりが大切! ~人の縁~

ベンチャー企業支援をするにあたって私がモットーとしているのは、とにかく“その場でできることをする”ということです。新しい人と出会うとき、必ず「何かこまっていることはありませんか?」と尋ねます。その場でその件に関係がありそうな人を紹介します。

そのとき目の前にいる人や会社が必要としている点、困っている点などに対して、スピードを重視して、とにかくその場でできることをやるというのが自分の特色です。 明日、明後日まで待ってもらうということはしません。これが私の人脈作りの基本です。

私の節目 ~孫正義氏との出会い~

あれは昭和58年頃だったでしょうか。私が新日本ファイナンスに勤務していたころ、新聞を見て当時20代後半だった孫正義氏を知りました。ほとんど飛び込みのような形で訪ねて、上場前の融資の取得などを手伝うことができました。

私の趣味

ゴルフ、カラオケ、異業種講習会への参加(縁を大切にしています)。

私の好きな本

「孫子」(兵法)、モンテーニュ「随想録」、「三国志」など。

私の座右の銘

「人事を尽くして天命を待つ」