田村セツコさん(83歳・女性)
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生い立ち~幼少期のころ~
幼少期の頃に戦時中でしたので、父は兵隊に行ってしまって、母と私たち四姉弟が栃木県の農家に疎開することになったのですが、そのときの生活が私にとっては一番ワイルドで刺激的でした。 農家は白米などごちそうを食べているのですが、疎開で都会から来た人々は粗食で、かぼちゃの種とか麻の実とかイナゴを食べたり、ふすまや糠でクッキーを作ったり、ヨモギやセリなどの野草を摘んで食べたりしていました。 農家の庭にはニワトリがたくさんいるのですが、そのニワトリの子たちと同じようなものを食べているなぁ、鳥の餌とそっくりだなぁと思ったりしていました。 でも今思えば、当時の私達が食べていたものは、現代の価値観に照らすと‟オーガニックでおしゃれな食べ物“とされているものだったなぁと思います。 終戦を迎え玉音放送を聞いたときは、私はまだ子どもでした。大人達はみな泣いていて、事態を悲観した一部の大人は「日本は戦争に負けちゃったからこれから女性や子どもは牛や馬のように働かされることもありうるのでは」などと言っていましたが、当時子どもだった私は「牛や馬のように働くってどういう仕事をするのかな?畑仕事かな?荷物運びかな?服はどんなものを着るんだろう、やっぱり茶色かな?」などと考えていて、そういう大人と子どもの物事の捉え方のギャップが、今考えるとおもしろいんですね。大人と違うことを考えるから。 子どもだったから事態を深刻に捉えずに、いろいろ工夫したりすることを考えるのが面白いなと感じていて、悲しいという気持ちはあまりなかったです。
生い立ち~小学生のころ~
終戦後、疎開先から都会に戻って大田区の小学校に転校しました。 生徒数が多い時代だったので、一つの教室で「早組」と「後組」の2組に分けて授業を受けていたりしていましたね。私は後組でした。 給食には脱脂粉乳が出ましたが、おいしくなかったので、男子が水道に捨てたりしていた光景が思い出されます。 小学生の頃、虱対策のためのDDTという薬剤を頭髪にかけられたとき、DDTの粉末で真っ白な姿になったのを友人らと笑い合うなどしたためにDDTを吸い込んでしまい、スーッとした感覚と変な味がしたのを覚えています。 道に迷って迷子になったときなど、そのときDDTを吸い込んだせいにしちゃたりして(笑)
生い立ち~家族について~
その時代の子どもって、下の兄弟をおんぶしますよね。私も学校から帰ってくると、母親から弟を背中に乗せられて、ずーっとおんぶしてましたね。弟をおんぶしたままなわとびをして遊んで、私は縄を飛べているのに弟の足がひっかかって失敗したり(笑) お菓子を食べさせるときも、背中におぶった弟に肩越しで食べさせたりして、肩越しに弟がおかしを食べるポリポリという音がしていた記憶があります。 先日、弟と一緒に街を歩いていたときに歩き方を注意したのですが、そのとき弟は「姉貴、僕はもう70だよ」と言ったんですね(笑) 思わず「ついこの間までおんぶしていたのに、もう70歳になったの!?」と言ってしまいました(笑)
生い立ち~中学時代~
大田区の中学校に進学して、私の人生で一番楽しい期間を過ごしました。 学校の裏にライオン池と呼ばれる池があり、毎日の放課後にそこでお友達とお姫様ごっこをしていて、私はディレクター役で、お友達が姫役や王子様役をやっていました。お姫様のいるところに向けて王子様が走ってくるといったシンプルなものでしたが、道が悪いために王子様役が颯爽と走ることが出来ず、その様子にみんなで大笑いするなど楽しい時間だったことが思い出されます。 先生からメガホンで「早く帰りなさい」と言われ、「はーい!」と元気よく返事するものの、遅くなるまで遊んでましたね(笑) 個性的ですばらしい先生方が揃った中学校だったので本当に楽しくて、私は学校が大好きでした。机といすと先生が揃っていれば天国といった気持ちでしたね。
高校時代
その後は高校に進学し、セーラー服で通学していました。 高校在学中に進路を考える時期になり、先生には芸大を進められましたが、私は四人姉弟の一番上なので早く働いて家計を助けたいと思ったため就職を希望し、筆記試験や面接を経て銀行に就職が決まりました。
銀行への就職から、絵の仕事へ
銀行に就職して1年ほど勤めた頃、お昼休みに屋上から下を眺めていたら、スーツを着た小ぎれいなサラリーマンが行き交う中に、ゴミ拾いをしているおじさんの姿を発見しました。世の中にはさまざまなお仕事があるなぁということと、自由そうでいいなぁと感じたことが強く印象に残っています。 当時お勤めしていた銀行はとても素敵な素晴らしい職場だったのですが、一方でゴミ拾いのおじさんの姿が目に焼き付いて忘れられなくなり、いわゆるきちっとした堅い仕事以外にも世の中にはさまざまな生き方があるなぁという風に思うに至りました。もともと絵を描くことに憧れていたので、銀行勤めを続けるか、絵の仕事に挑戦するか迷いが生じました。 今では考えられないことですが、当時の漫画雑誌にはファンレターの宛先として作家の住所が載っているような時代でした。私は少女雑誌の作家へのおたより募集ページを見て、松本かつぢ先生に「絵を描く仕事に就くにはどうしたらいいですか?」という内容の手紙を書いたところ、二子玉川のアトリエに招かれてつながりができたのです。 そこで松本かつぢ先生のアトリエに出入りする編集者の方々ともつながりができ、小さな絵のカットの仕事をもらえるようになったこともあって、銀行に退職願を出しました。ところが銀行からは辞めないようにと強く説得され、銀行勤めを辞めていいものか大変悩みました。松本先生にも「銀行を辞めちゃって大丈夫でしょうか」と相談してみたところ、先生は「そんなこと誰にもわからない」と答えてくださり、それで決心がつきました。誰のせいにもしないという決意の元、両親の前で正座をして「後悔しない、愚痴を言わない、経済的な負担はかけない」という3つの誓いを立てて、退職しました。
絵は基礎基本が大事
絵の基本を学ぶために、松本かつぢ先生のお知り合いのご紹介で、洋画家の猪熊弦一郎先生のスタジオに通いました。部屋の中央にオールヌードの女性がいらっしゃって、画家の皆さんがサロンのように集まって、ヌードのクロッキーを描いていましたね。 始めは顔だけを描いていたのですが、そうしましたら「せっかく人体があるのに顔だけ描くのはもったいないと思いませんか」と注意され、身体の全部を描くようになりました。 そのころに描いたヌードクロッキーはたくさんあります。これを4頭身の女の子のイラストにアレンジするのは難しく、どのように生かしていこうかというのが悩みでしたが、腕の曲げ方などをはじめとしてやはり参考になっている部分はたくさんあり、ありがたいと思っていましたね。 そのように過ごしながら、あるとき急病の作家の代わりに「少女クラブ」の挿絵を徹夜で描いて掲載されたことがきっかけで、それ以降は仕事の依頼が増えましたね。
作品制作のこだわり
私の描くイラストの女の子はウィンクをしているんです。いま落ち込んでいる女の子達に対して「大丈夫よ。いまに良くなるから」という励ましのメッセージを込めて描いていることは確かです。 またプロとして、印刷したときにどのようになるか、というのも考えながら描いていますね。 創作をしていて特に難しいのは、変わりゆく世の中に合わせていくことと、変わらない自分らしさを求められるということと、両者のバランスをどのようにとるのかということです。いつも試行錯誤しています。
父の言葉
私の父は普段は無口な人でしたけど、編集部から届く封書の宛名に「田村セツコ先生」と書かれているのを見て、私がいい気になるのではないかと心配していたのが印象に残っています。 私は「先生」というのはただの呼び名だというのはもちろんわかっているし、そんなことでいい気になんてならないから心配はいらないのですが、親って面白いもんだな、そういう心配をするんだなと(笑) そのときの父は「本当は“先生”というのは、なんでも教えてくれる編集者の方だよ。」と申しておりまして、私も、本当にそうだな、良いアドバイスだなと思ったものです。
脇役が好き!
お姫様って退屈だろうな、お姫様より召使いの方が楽しいだろうなぁと、幼いころから考えていました。シンデレラもこき使われているときの方がいろいろと工夫できて楽しいんじゃないかなと思います。 いつも絵を描くときはきれいなお姫様を書くんですけど、脇役を描く方に熱が入りますね。 相撲を見ていても力士ではなく呼出(よびだし)※をつい目で追ったり、歌舞伎を見ていても黒子のひとに注目して主役を見ていなかったり。目立たないところで仕事をちゃんとしていてカッコイイなぁと。 ※呼出…大相撲での取組において、「呼び上げ」や土俵整備や太鼓叩きなどの競技進行を行う者のこと。
カルチャースクールの生徒さんとの交流を通して
カルチャーセンターの絵日記の講師を十数年ほど続けています。そこの生徒さんたちの発想が本当に面白くて思わずハッとすることもあります。 例えば、あるとき生徒さんが木の陰に身を隠す女の子を描いているときがありました。生徒さんがおっしゃるには、女の子がオオカミを待ち伏せている様子を描いたそうです。赤ずきんちゃんはお母さんから「知らない人と口をきいてはいけませんよ」と教えられていると思いますが、オオカミの目線でみると、オオカミのお母さんも我が子のオオカミに対して「かわいい女の子に近づいてはいけませんよ。危険な目に遭いますよ。」と教えているんじゃないでしょうか。 オオカミにはオオカミの立場がある。視点を変えてみると面白いなということに気づかされました。
おばあさんは毎日が冒険!「白髪のアリス」
「アリス」と聞くと少女のイメージがありますが、年を取ってくると逆に親しみを感じるのです。おばあさんになると、あら転んじゃったどうしましょうとか、眼が霞んできたとか、毎日そういう未知の体験に直面していかないといけないので、毎日冒険しているようなものです。そのようなおばあさんの冒険を表現した「白髪のアリス」というキャラクターをモチーフに、展覧会を予定しています。
若い人たちへのメッセージ
どうかのびのびと生きてほしいと思います。
日本の高齢者の方々へのメッセージ
これからも今まで出会ってなかった自分に出会ってください!