杉井要一郎さん(80歳・男性)ライフストーリー

~父不在の中、母と妹を支えた幼少期~

東京生まれでしたが、戦争中だったのでいったん疎開しまして、終戦後に帰ってきたら何もなかったという状況でした。父親は戦争に行っていたため5歳くらいまで帰ってこなかったので、私は母親に育てられたのですが、それがよかったのか、自分で仕事をなんでもやれたというのが私の人生のスタートポイントですね。また、母親は耳が聞こえなかったため、私は幼いころから様々な点でサポート役をしていました。そのような日々の中で母と妹と共に過ごした幼少期でした。

 

~小学生時代~

白金小学校に通っていたころの印象的な思い出として、「24の瞳」という映画の撮影班が来たという出来事が挙げられます。小学生時代の幼い私は、映画の撮影というものを初めて見たことが楽しくて、「将来は映画俳優になろう」と幼心に思った記憶があります(笑)。もっとも実際は経営者になったので、映画俳優にはならなかったのですけれどね(笑)。

 

~青山学院で過ごした中学・高校・大学時代~

中学から大学までずっと青山学院に通い、仕事と併用で2012年以降青山学院大学経営学部の講師になったので、青山学院での生活が長く続くことになりましたね。

 

~ラグビーに没頭した青春~

中等部・高等部ではずっとラグビーをやっていました。

東京都の全国高校大会の決勝まで行ったのですが、卒業旅行にも行かなかったくらいに没頭していましたね。今みたいな優しいラグビーではなく、まぁ乱暴でね(笑)

男らしい、ある種 乱暴な面もありながら、一方で紳士的なジェントルな面もあるスポーツです。スポーツは、これからの時代の経営者が持たなければならない非・認知能力の要素だともいえます。

“オールインワン”、すなわち、常に皆が一つのチームになること。尊敬されるような人間であること。一つの試合が終わったら常に次のチャレンジに臨むこと。

こういったラグビーにおいて求められることは、経営者哲学にもつながるのです。

そしてそれらは、すべてが強いメンタルで自己肯定感に繋がります。

これからの時代、医学がどんどん進歩し、ガンや脳卒中など、いま人類を苦しめている病気が治る世界になっていきます。そうなった世界で、いかに健康で人に迷惑をかけず、自己の主張に責任を持つ、そういう持続的な人生を皆に送ってもらいたいと思っています。

 

~世界中を巡り、世界を知る日々~

これまでの半生を振り返ると、私は世界中をさまざまに巡ってきました。

最初に入った赤井電機という会社が、とても自由な社風で、「何でもいいからナンバーワンになれ」というモットーだったために、転勤や出張で行きたいところに赴くことができました。アジア、北米、中米、南米、ヨーロッパ、オセアニア、中近東、、、、、実に世界中を巡りました。当時は、日本は戦争に負けた直後で後進国でした。戦時中は英語を話してはいけないという時代でしたので、日本の街中には英語の表示もないし、英語を話せる人もあまりいない、英語の教材もない、今のようにパソコンもコピーもない時代に、世界中のあらゆる地に飛び立ったのです。英語は、相手に自分で書いて出すと添削して返事をしてくれて、徐々に覚えたのです。

北極で、55年前、現在は人が余り住んでいないThule という世界の航空路の米軍基地に米軍機で行ったり、オーストラリアにおいては世界中の潜水艦が立ち寄る西海岸のRear Mouth という砂漠の町でサソリと一緒にゴルフをしたり、そういう普通の人は経験できないことを様々に経験させてもらいました。

今の若い人は、遠くに行きたがらない傾向にあると思います。「自分の家庭を守る」「楽しい家族」、そういうことばかりを考える人が増えました。もちろんそれもウェルビーイングとして大切なことですが、親の世代が作ってくれた世界をそのままエンジョイするだけ、という姿勢を正していかないと、戦後にエクスポネンシャルに上昇していた日本が、今度はエクスポネンシャルに後退していくおそれがあります。現実の日本のリーダーシップは30年遅れています。

(※エクスポネンシャル…「指数関数的に」。指数関数におけるグラフの軌跡が急カーブを描くことから転じて、飛躍的な向上・発展などの例え。)

 

~赤井電機退職後、様々なビジネスを手掛ける~

23歳から38歳まで在籍した赤井電機を退職後、世界初の薄型プラズマディスプレイの会社を作って欲しいというVCからの要望を受け、4~5人の仲間とスピンオフの形で起業をしまして、当時のお金で80億円の資金調達を行い、数名から初めて4年間で400名ほどの会社にしました。

国の銀行も資金を提供してくれるなどしてプラズマディスプレイを開発することはできたのですが、半導体などの部品性能の遅れが要因で、製造当初は美しかったディスプレイが2~3日を経過すると色が変わってきてしまうといった問題が起こり、それらが要因となって最終的にその会社は畳むに至りました。45年前です。

「開発されても商品にはならない」、ということを経験したわけです。

製造の世界は、アイデアがあって、サンプルができ、製造ができて、生産ができ、生産管理までできないと、「製品」は「商品」になりません。

同様のことは、現在の日本でも見られます。すなわち、優秀な人材によって良い製品が開発されるけれども、うまく商品として展開できない、という大学との産学共同事例です。

その会社のあとは、オファーを受けてIT・コンサルの会社に入ったり、東南アジアに住んでみたり、とある会社の役員を務めたりと、さまざまなビジネスを精力的に手がけました。

定年退職後の60代頃からは、ある会社の海外本社に招聘され、海外に移住して株式発行からIPOまで行ったということもありました。その後も、とある海外企業の日本支社の社長をやって欲しいとオファーを受けてその社長を務め、その後また別の会社を大きくするために尽力するといったことを経て、2004年に起業してエグゼクティブ・コーチングに従事し、現在に至ります。

 

~母校でもある青山学院大学で教鞭をとった日々~

青山学院大学において、60代半ばころから7年間、経営学部でエグゼクティブ・コーチング・キャリア開発を教えました。大学を出たら自分で起業をするのだという教えです。

今の若い人たちは、細かい知識を知る必要は必ずしもありません。それは専門家に任せるという選択肢もあります。そうではなく、大きな夢を持つ、ブレイクスルーして、誰もやったことがないことを考えて欲しい。それこそ「思考力」、今一番必要なことです。

コンサルとは、過去の良いところを集めてフレームを作ることです。その結果、何をしたらどのような結果になるかがわかるようになります。そのためにコンサルはある。

一方で、コーチングは未来への目的地に連れて行くものです。

これが、コンサルとコーチングの違いです。

あなたもしらない、私も知らない、誰も知らないゴールを作ってもらいたい。

そのような未来に導くことがコーチングです。

すべての人間は、本来、社会があり、国家があり、その中に自分があるものですが、家族や会社や地域といった狭い世界のことしか考えなくなり、小さく、狭くなってしまう。

こういう風にシュリンクしてしまった心を、オープンにして、挑戦していかなければならない。新しいことを考えなければならない。こういうきっかけを、もたらしていきたいと考えています。

 

~コロナ禍、哲学的に考えることの重要性が増す~

「アリストテレス」だとか「形而上学」だとか、そういったことを学校などで習ったときは、右から左に流れて行ってしまいましたが、コロナが始まって「人生とは」、「いかに生きるか」、そういったことを哲学的に考える時間ができたという人が増えたと思います。

その結果、脳によって考える力・思考する力というものの重要性がより一層 増しています。

これまでの日本は、知識偏重による弊害によって発展が滞り、大学も国もそれに気が付いているためにさまざまな取り組みをしているものの、現実には奏功していない…そういう現状があるように見受けられます。

 

~停滞した国に必要なもの。人々に「分福(ぶんふく)」を~

日本には人材がいない。その結果、日本の成長は停滞しています。

自分たちの頭で考えず、単なる情報収集をしているだけ、という人が増えました。

その結果、日本という国は、コアの部分ではとても良いものをもっているけれども、それらの良いものが次々とアウトバーンドしてしまっています。

AIの進歩によってシンギュラリティの一部はすでに世界に到来しており、グラフィック分析やビックデータなどをはじめとして、人間よりAIの方が効率的というものが散見されています。そのような世の中にあって、日本は停滞してどんどん遅れて行ってしまう。

では、どうするか?

本来、日本人は頭がいいのです。プランニング、コンセプト、ゴール設定などができる。

しかし、その間を埋める、ということをやってきておらず、そのことを国もわかっている。ゴールまで導いてくれる、いわば馬車の伴走者がいない。そのような存在を育成できないと、日本は単なる引きこもりの箱になってしまう。

土の中で生きている蟻。鎖につながれた象。あるいは、中には良いワインが入っているのに、そこに置いてあるだけのワインボトル…。瓶詰のワインこそが日本の経営者なのです。

ボトルの外にいる人には、生産年や産地などそのワインのことがわかるが、中にいる人には見えない。であれば、そのボトルを早く割ってしまおう、あるいは飲んじゃおう!というのが、私の意見(笑)。ただ、味がわからない人が飲んでも意味がない。だから、みんなに分け与えよう。

すなわち「分福(ぶんふく)」が必要です。「至福」や「幸福」を知っている人はいるが、「分福」を知っている人はあまりいない。分福をできる人になる、そういう人が増える、それが日本の成長に必要なことなのです。

 

~若い人に伝えたいこと~

日本の若いリーダーを育てたいという理念のもと、エグゼクティブ・コーチングなどをはじめとした活動をしています。「ステイヤング」、すなわち、いつまでも若くいたいというモットーで120歳まで生きて、100歳まで仕事を続けたいと思っています。

「障壁」に向かっていき、それを破ろうとすること、すなわち「チャレンジ」が大切です。

「受け身」ではなく、自らチャレンジする姿勢だと、チャンスはいくらでもあります。

これからの若い人達には、ユニバーサルな視点を持ち、アンビシャス(夢)を持っていただきたいと思います。若者達に伝えたいのは、過去はいいから、未来を創造して飛び立って欲しい、ということ。そのような発信を今後も継続していきます。

そういう世の中にしていきたいというのが、私の考えです。

 

~人生100年時代、日本のシニアに伝えたいこと~

医療の進歩でさまざまな病気が治るようになり、多くの方々が100歳以上まで生きる世の中になります。皆がその人生において世紀をまたぐ、センテナリアンになる世の中が到来するのです。しかしセンテナリアンの生き方を教えてくれる人は、まだあまり世の中にいません。“センテナリアンの生き方はいかにあるべきか”、ということを、ご自分でお考えになっていただきたい。

そのためには、「考え方」そのものから、まず考えなければなりません。

これからの日本のシニアの方々には、ぜひこういったことをお伝えしていきたいと思っています。