篠原博さん(72歳)ライフストーリー
朝4時、いつものように庭のデッキに出て一本の煙草をふかしグラスに一杯の水を飲む。
今日は2022年7月17日、72回目の誕生日を迎えた。干支が6回りした。
随分長く生きたもんだ。十二支を一回毎に分けて記憶を辿ってみた。
0~12歳 (1950~1962年) - 躾と読み書き算盤
母から幼い頃厳しく躾けられた。若い時には恨みもしたが今はとても感謝している。
躾の目的は善悪の判断を体で覚えること、スパルタであった。善とは自分が好きなことは相手に分け与えること、自分が嫌なことは相手にしないこと。悪とは自分が好きなことを相手に与えないこと、自分が嫌なことを相手にすること。愛されたければ愛しなさい、親切にされたければ親切にしなさい、見下されたくなければ見下すな、束縛されたくなければ束縛するな、嫌われたくなければ嫌うな、である。体罰も含めて反復練習を強要された。
犬とブリーダーの一方通行の関係であった。後年、人との関係構築に無理なく入って行けた。それから小学生の6年間、綺麗な岡本容子先生、多情な安達達人先生、豊田一サラリーマン先生、それぞれ個性の違う先生方に読み書き算盤を教育して頂いた。
読み: 読書を通じて相手の意見を聴く力を学ぶこと
書き: 作文を通じて自分の意見が話せる力を学ぶこと。
算盤: 将来自分の食い扶持は自分で稼ぐ力を学ぶこと。
人間と動物の違いは学問に負うところが大きいと諸先生方に教わった。
13~24歳 (1963~1974年)- 北極星を探して
中学生時代、躾と読み書き算盤が不足していた私の間隙をぬって鉄拳が飛び交った。又川善一、中村勲、中原弘子熱血先生登場である。理屈より体で覚える時代であった。有り難かった。安倍晋三が欲する日本的優良青少年を目指した。空はいつも快晴であった。
高校2年の春、母が他界した。死因は膵臓壊死、大阪上本町の赤十字病院の主治医から死ぬほどの病気ではなく主因は生きる気力が無かったと聞かされ足が竦んだ。父と別れ新しい生活を望んだ母を私は阻止した。女心も人の道も解らず阻止した。快晴が曇天に変わり、
学業をほったらかし、生活費を管理し始めた妹の財布から金を持ち出しては夜の街に遊んだ。堕落に身を任せた。自堕落な私に女給や不良やヤクザは何故か優しく安らぎをくれた。大阪から遠く離れた地方の公立大学になんとか滑り込み上州の空っ風に吹かれて旅をした。北海道一周1カ月の均一周遊券1万5千円、ユースホステル1泊2食付6百円、北海道から鹿児島まで500日は旅をした。残りの日々はもっぱらポン、チー、ロンで生活費稼ぎ。旅と麻雀が私に思考力を与えた。思考力から行動力へ、対象は学生運動。真面目さを思い出しべ兵連と中核派を掛け持ちした。奥浩平、高野悦子、高橋和己、柴田翔、吉本隆明の本を片手に水俣、富士、三里塚、扇町公園、明治公園、新宿西口広場で角棒を振るった。有段者揃いの機動隊と栄養失調のマッチ棒学生、全戦全敗であった。思想的には反帝反スタ、社会的にはベトナム反戦、部落解放を叫んだが本音は一握りの支配層が多数の被支配層を牛耳る長年の構造仕組打破であった。同級生が髪を切りジーパンからリクルートスーツに衣替えする頃、学生運動は内ゲバ化に走った。共に馴染めず岡林信康の世界、山谷、釜ヶ崎等ドヤ街の虚無の世界に憩いを求めた。明日の見えない日雇い労働者も優しかった。
人の優しさ、周りの安らぎは、しかしながら何のために仕事をするのか、何の為に生きるのか、の根本的疑問に答えてはくれなかった。答えは自分で探し自分で作り上げるしかない。5年かかってなんとか卒業し、覆いかかる閉塞感からの解放は最早日本では見つからず光を海外に求めた。優等生だった頃、堕落した頃、学生運動に身を燃やした頃、虚無に安住を得た頃を経験して気付いた物、それは唯一ぶれない心、私だけの北極星を手に入れることだった。1974年6月21日ロシア船籍バイカル号の3等船室に乗り横浜港からナホトカ経由、ロシア大陸横断鉄道でヘルシンキに向かった。
25~36歳 (1975~1986年)- 北極星との出逢い
ヘルシンキ、ストック、コペン、アムス、ハンブルク、パリそしてロンドンの都市をそれぞれ1週間から1カ月間漂った。多国籍の私と同じ夢を捨てきれぬ若者と出会った。貧しい身なりで目をぎらつかせた白人が多かった。北極星どころか闇夜が続く中でも似た境遇の若者に妙な安堵感を覚えた。ロンドンで力尽きた。何日も高熱に魘され気が付いた時は
ロンドンのアリスコートのフラットの一室で見知らぬ女学生の介護を受けていた。名は佐々木加奈、札幌羊が丘の二十歳の御嬢さんだった。同じフラットの一室を大家のフェビアーニ氏に掛け合い格安家賃で借りてもらった。同フラットには他に二人の日本人が住んでいた。川崎の康、十勝のミー、翌年4人で広い3LDKのフラットに移り共同生活を始めた。それぞれの友人が毎日のように3LDKを訪れた。乞食のコスター、淫乱友子、クレオパトラ似のミトラ、シンガーソングライターのT氏、イラン革命で死んだ高潔青年ジャビッド、お高姉さん、商社マン大石さん… 微かに北極星の光が差した。それはイデオロギー、宗教、歴史、地理、金とは無関係の人の心の核心部に存在する何かであった。国籍、
年齢、貧富、身分、性別、個性の違う雑多な人々全てに内蔵する何かであった。昼はシェークスピアを習い、夜はアルバイトに通い、学校休暇の間にまた旅をした。ネス湖の旅、
パリの旅、アルジェの旅、週末にはポートベロマーケット、ソーホーのジャズクラブ、
ウインザー城のライブコンサート、シェイクスピア劇場、テートギャラリー….
3年8カ月のロンドンはエデンの園であった。微かな光を土産に帰国した。充分であった。
帰国後、積極的に職を探した。北極星に向かって進める仕事を探した。海外出張が多い、小さくて自由な貿易会社、FRPサービスに運よく巡り合った。社員は総勢5名、柳田社長
岩本専務、石井経理担当、小村船積担当、岡本事務員とは終生同志同胞である。
入社以降、私の北極星は輝きを増した。日本人と全く価値観、商道徳、発想法、喜び悲しみ方の違う外国の人々との商いに喜びを得た。自分本位の狭小思考から相手本位の宏大思考が利他の喜びと多様性の豊かさを運んできた。仕事は困難度に比例して充実度が増す、失敗が辛くなくなった。
37~48歳 (1987~1998年)- 外なるマキシマリストへ
20代の貧しい南アジア、バングラデシュ、スリランカ、パキスタン、インドの行商から
30代前半のオイルリッチの中近東、サウジアラビア、クウェート、バーレーン、イラン、イラクを経て30台半ばから東アジアの台湾、韓国、中国そしてアセアン諸国へと商いを
拡げた。海外滞在期間が日本滞在期間を上回った。金の為より人の為に働く会社の雰囲気が精神的高揚感を生み肉体的疲労感を打ち消した。地理的拡大、そして商い、FRPの主力材料である硝子繊維、ポリエステル樹脂の開発途上国への輸出とその材料を使って作る船、
浄化槽、自動車部品等々の輸入両方の拡販は商売の醍醐味をもたらせ私を有頂天にさせた。
とりわけ湾岸戦争、アジア通貨危機等の経済危機をビッグチャンスと捕え大手企業とは逆にその地に足を運び留まり大きな成果を得た。爽快であった。
49~60歳 (1999~2010年) - 内なるミニマリストへ
目の前の人参を追う年が続き、やがてグローバルビジネスマンの自惚れが鼻につき始めた頃、日本人としてのアイデンティティが無性に気に成り出した。自分の立ち位置が何処にあって仕事に従事し生を持続させているのか。北極星の輝きは止まった。三島の言う天皇制に基ずく日本の伝統文化を習得し、日本人としての誇りをもって自主独立の皇民たるべし、では北極星の輝きは取り戻せない。私のDNAは前に進んでいる時に何か大きな障害に出くわしたとき必ずと言っていいほど真逆の選択をする。過去には退廃、虚無、孤独に身を置いて社会の底辺に生きる人から癒しと慰めを得た。50歳代は毎月フィリピンに一週間滞在した。ルソン島の中央部にクラーク空軍基地がありかつて米軍兵士が駐屯していた。その近隣に沢山のバーが林立し多くの娼婦が働いていた。今回はその娼婦達と情欲に溺れた。ジーナ、アンアン、サリー、アナベル、グレース、リン… 多い時には8人の女性が傍にいた。愛のない交わりにも安らぎはある。彼女たちは一様に明るく天使であった。後日彼女たちの多くは外国人と結婚し子をもうけヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアで暮らしている。毎年届くクリスマスカードには義理堅さがある。底辺に落ちた女は逞しい。
そんな爛れたフィリピン滞在中のある日突然、無から有が生まれた。“シンプルライフ”、
ミニマリストとして最低限の荷物を背負って生きればよい。“人生の旅の荷物は夢ひとつ”
熱い気付きはいつも自分を底辺に落としてこそ出会う“無”から生まれた。
私の立ち位置は、私のアイデンティティは北極星を追い続ければ良いだけのことである。
61~72歳 (2011~2022年) - 美しい理想と醜い現実のバランス
60代は企業業績が良く法外な収入を得た。10年間の給与が3億円、個人経費が2億円
合わせて5億円。成金生活を一時試みたがすぐに飽きてもっと有効な手段に切り替えた。
三方良しとは近江商人が唱えた売り手、買い手、市場三方を潤す商道徳で有名だがこれを
自分、身内、他人の三方に置き換えた。収入を3分の1ずつに分けた。仏典の金銭感覚の教え、The greatness is not what we have. It’s what we give 富の公平な分配意識である。
既に海外行商や注文取りの活動を控えもっぱら国内外の社員に仕事の面白さを説いた。
好きな職種を選び従事しなさい。さすれば努力、苦労が苦にならない。
金の為に働くな、人の為に働きなさい。さすればいつか必ずフォローの風が吹いてくる。
海外工場労働者の大半は農民出身者である。農奴の様な状態が現代でも続き天候や疫病に左右される不安定な収入が安定した月給で3食が賄える労働者に私の説明は空しい。また
衣食住が確保された日本の社員もより高い給料、より安定した企業に気持ちが向かい、
好きな職種選びや人の為に働く意義に興味を示すものは少ない。私の説得は空振りだ。
理想を掲げて突き進む仕事より損得勘定で現実を有利にもってゆく仕事が幅を利かせる。
崇高な職責は常に現実の打算に壊されるのが世の習わし。さて如何したものか。私に答えは無い。70歳の3月末日私は職を辞した。辞した後でもその答えを追い求めねばならぬ。
利他主義が利己主義を、前頭前野の脳細胞が脳内ホルモンのドーパミンを、そして美しき理想が醜い現実を超える日が来るのを固く信じて。北極星は遠いが輝きは失わない。
忘れられない出逢い
書物上の出逢い
聖徳太子、菅原道真、楠木正成、真田幸村、松平容保、西郷隆盛、坂本龍馬、東郷平八郎、
夏目漱石、山本五十六、宮沢賢治、三島由紀夫、司馬遼太郎、イエスキリスト、モハメッド、釈迦、プラトン、ヘーゲル、孔子、ドストエフスキー、マザーテレサそして天皇ヒロヒト。皆美しい理想を終生追い求めた先輩諸氏と読み取った。
映画・音楽との出逢い
ゴッドファーザー、ソルジャーブルー、ジャニスジョプリン
何度観ても、何度聴いても、その都度違う感動を覚える。
同志7人との出逢い
西岡俊和 - 同級生。高校1年から65歳で他界するまで思考、行動を共有した。
アリ・コラガシ - 中近東最初の顧客。湾岸戦争で全ての資材をクウェートに残しヨル
ダンに逃亡したパレスチナ実業家。祖国の独立に命を捧げた。
ファリッド・アフメド - ベンガル人。アラーの神の神髄者。極貧のバングラデシュで
貿易会社と繊維工場を立上げ倒産し、ボストンで病に逝った。
スチーブン・ソウ - 客家のシンガポール人。儒教とキリスト教を中華思想の核心部に
据え、華僑の自負心を持ち続けたエンジニア。
ダッドリー・フェルナンド - シンハリ人。仏教の慈愛を商売と融合させている造船家
ウィチット・チラポンサナルラック - タイ人大学教師。大道無門、和顔愛語を実践中。
ジョン・タイディ - イギリス人。私の最高の同僚。死の直前までユーモアに生きた。
人種、思想、宗教、世代が違う7人は其々に志を立て、志に殉じる生き方を貫いた。 それ故に最も嫌悪すべき人間の劣性感情、裏切り、の心配がお互いに微塵もなかった。
人間の最も歓喜すべき優性感情、信頼、が隅々まで行き渡る人間関係は正に至宝であった。
遺しておきたいもの
(これまでに見つけた5つの複雑な課題への我流回答)
一 利害調整
利害関係のない人間関係は信頼を生む土壌を作り、利害関係のある人間関係は不信を生む土壌を作る。利害を調整する制度設計を人は模索し続けるも利害が形而下に発生する産物ゆえにいつもぶれる。形而上の利他の心で設計図を。
一 理性と感情の両立
理性と感情は相対立する関係でそれぞれを司る脳細胞と脳内ホルモンに支配される。
脳細胞は所属する人類を守ろうと働き、脳内ホルモンは自分の生命を守ろうと働く。共に不可欠な役割を担うが故に程よいバランス感覚を個々の個性で成立させること。
一 恋愛観
愛と恋とは本質的に違うものである。愛は脳細胞の守備範囲で永遠のもの、相手の望むものを最優先に置く、見返りを求めない。対して恋は脳内ホルモンの守備範囲で一時的なもの、自分の望むものを最優先に置く、従って怒りや不信、嫉妬が付き纏う。
若い時代の熱きトキメキは恋、大人の恋は愛、と判断した。
一 情報過多の時代に
耳からの情報より手触り肌触りがより正確。一人旅で量的拡大歴史書耽読で質的深化、
依って俯瞰性、仰視性の両面から弁証眼を養うことで情報の整頓に役立つ肌感覚を。
一 私の北極星の正体
人生は幸せ探しの旅。北極星はその道標。
(私の幸せとは)
幸せになってもらいたい。現世に生きる者が幸せな人生を歩むために先人達はありとあらゆるものを遺してくれた。動物と人間の成長の決定的な差は動物が自己体験しか未来に遺せないのに対して人間は伝承と言う手段で自分以外の他者の体験を未来に生かせる点に有ります。彼らの遺してくれた多様な選択肢の中から私は、幸せはその漢字を構成する辛さプラスワン、辛 + 一 = 幸 を選んだ。幸せの必要条件が辛さ、充分条件が横棒一本、辛さを避けては幸せは成り立たずプラスワンは人が学び思考し行動する結果その人だけが得る独自のこころざしであろう。願わくばその志が形のある形而下の物ではなく形のない形而上のものであって欲しい。願わくば愛溢れる利他心であって欲しい。志ある者が多数を占めた時にやっと人類に反戦平和が根づく。
私の場合は、善悪の判断も学問的知識も思考力も行動力も誰かに受け継いでもらえるほど
の領域にまで達せず、せいぜい自分を照らす北極星の灯りの強さを少しでも明るくする程度のものである。それでも、より良き人間になろうとする道程こそが幸せを実感できる唯一の所作と確信し幸せを感じつつ生きております。昨年は肺炎による3度の入院、週3回の人工透析の開始さらに今年の春心臓バイパス手術と立て続けの病と闘っております。
もはやこれまでかと覚悟した時もそれほどの恐怖感はありませんでした。彼方の北極星の存在が理由です。